坂戸店スタッフのブログ

愛和住販坂戸店のstaffのブログです。

ムメ散歩

ムメ散歩「金沢八景の歴史と海岸を歩く」

今日のムメ散歩は、金沢文庫駅、称名寺、海の公園、青少年研修センター、帰帆橋、瀬戸神社、金沢文庫駅の約10kmのコースです。
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金沢の風景の美しさは鎌倉時代から認識されていたが、特に鎌倉後期以降に鎌倉五山の禅僧によって杭州西湖と金沢の風景の類似が指摘された。

江戸時代に入り、後北条氏のもと家臣であった三浦浄心が『名所和歌物語』(1614年刊)の中で瀟湘八景に倣って金沢の地名を名指したことが金沢八景の最も古い例である。

その後も現地比定は流動的であったが、水戸藩主徳川光圀が招いた明の禅僧・東皐心越が、光圀の編纂した『新編鎌倉志』に基づき、元禄7年(1694年)に山の上(現在の金沢区能見台森)にある能見堂から見た景色を、故郷の瀟湘八景になぞらえた七言絶句の漢詩に詠んだことで現地比定が方向づけられ、心越禅師の権威と能見堂や金龍院の八景絵図が版を重ねることで普及した。

心越禅師の漢詩によって金沢八景の名は高まり、江戸市民の観光が盛んになった。

  • 小泉夜雨(こずみ の やう) - 手子神社(小泉弁財天)
  • 称名晩鐘(しょうみょう の ばんしょう) - 称名寺
  • 乙艫帰帆(おっとも の きはん) - 海の公園より内陸の寺前地区の旧海岸線
  • 洲崎晴嵐(すさき の せいらん) - 洲崎神社
  • 瀬戸秋月(せと の しゅうげつ) - 瀬戸神社
  • 平潟落雁(ひらがた の らくがん) - 平潟湾
  • 野島夕照(のじま の せきしょう) - 野島夕照橋付近
  • 内川暮雪(うちかわ の ぼせつ) - 内川入江(能見堂の解釈)または瀬ヶ崎から九覧亭にかけての平潟湾(金龍院の解釈)[1]

海岸線を歩きましたが、シーパラダイス、シーサイドラインもあり、解放感のある、静かな海岸です。
以前は仕事で来てこの辺に来たことはありますが、30年ぶりにウォーキングでこの地に。

称名寺

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野島の掩体壕

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洲崎神社
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琵琶島
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瀬戸神社
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景色がきれいで、静かで、神社・寺・史跡等があって、でも、うえではとびが食べ物を狙っているので、お気を付けを。。。

樋口一葉記念館~上野駅 ムメ散歩 約12km

今日のムメ散歩は樋口一葉記念館~上野駅のコースです。
1月~2月は天気が良くても、からっ風やビル風でとても寒い都内
今日は天気もよく、風もなく、散歩には絶好の日となりました。
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コースは上野駅、下谷神社、誓教寺、松葉公園、聖徳寺、かっぱ寺、かっぱ橋道具、池波正太郎記念文庫、浅草寺、花川戸公園、鷲神社、樋口一葉記念会館、千束稲荷神社、東盛公園、上野駅です。

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樋口一葉(本名 奈津)(1872年「明治5年」~1896年「明治29年」)
5000円札の肖像としても有名な樋口一葉
幼少期は裕福な家庭に育ったが、17歳に父を亡くし、戸主として一家を支えなければならなくなってからは苦労が多かった。
小説家を志し、生活をしていこうと思うのですが、それだけでは、生活出来ない状況に。生活苦打開の為、荒物と駄菓子を売る雑貨店を(下谷龍泉寺町(現在の台東区竜泉一丁目))始めた。
この時の以降の経験が後に代表作となる小説「たけくらべ」の題材となっている。

物語の舞台は、龍泉寺町界隈と遊廓吉原になっており、いずれは吉原の遊女となる美登利と僧侶となる信如の思いのすれ違いをはじめとして、大人へと成長していく子どもたちの様子が、季節ごとの行事を織り交ぜながら見事に描かれています。
この作品は多くの文学人より評価され、森鴎外や島崎藤村らもも高く評価された。

一葉は<奇跡の14ヶ月>といわれる、明治27年(1894)の12月~明治29年(1896)の1月の間に「大つごもり」「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」等の代表作を執筆しています。

その当時は文学賞等はなかった時代。今の文学賞作家、それ以上の人物だったといえるのではないでしょうか。
結核で24歳という若さで亡くなってしまうのです。

樋口一葉記念館にいってわかったことですが、「一葉協賛会」が中心となって運動し、台東区は1961年
(昭和36年)に記念館建設したということです。

ずいぶん前からあったんですね。58年前からあったことになりますね。

地元のひとにも樋口一葉は愛されていたんだと思いました。
www.taitocity.net/zaidan/ichiyo/

是非「樋口一葉記念館」いってみてください。

ゆるきゃら グランプリ NO.1 おめでとう「カパル」 記念 ムメ散歩 河童の街 志木市を歩く


ゆるきゃら グランプリ NO.1 おめでとう「カパル」 記念 ムメ散歩 河童の街 志木市を歩く
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柳瀬川駅、宝憧寺、旧西川家潜り門、旧村山快哉堂、新河岸川、総合福祉センター、せせらぎの小径、こもれび小径、市民会館、志木駅のコースです。

なんと、ゆるきゃら グランプリ NO.1をとりました。おめでとう「カパル」!

というこてで、今回は河童の街 志木市を歩きます。

宝幢寺の地蔵さんとカッパの話
大嵐しが4、5日続いたある日、柳瀬川の子供の河童が勘助の馬の尻尾をつかんで、川に引きずりこもうとしていた。
馬の鳴き声が聞こえたので、宝憧寺のお地蔵さんが、その様子をみていた。
さらに近づいて、寺の釣鐘を耳もとでゴオンとつきならしたような大声でお地蔵さんが河童に言い放った。
「放さんかカッパめ」
河童はびっくりして、馬の尻尾を放してしまった。
「これカッパめ、この馬は勘助とこの馬じゃろが、お前はこの馬を川の中に引き込んで尻子玉を抜き食らい血を吸うつもりだったんじゃろうがどうじゃ。
お前にこの馬を殺されたら勘助とこじゃ、じいさん、ばあさん、かかから幾人もの子をかかえ、あすからの暮らしに困るのじゃが考えてもみたか、それにこの馬も生き物じゃ、それでお前は盗っとの馬殺しじゃ。
お前は知らずにしたんじゃろうが、仏の罰は重いぞ、死んだら地獄に落ち責め苦が、いかように恐ろしいものか、その地獄から抜け次の世に生まれる時は二度とカッパには生まれてこれん。その時は前世で犯した罪の報いに、さて、せいぜいどぶみみずになって、もぐらや川のどじょうの餌に生まれてくるのが関の山じゃろがそれでもいいか」

河童は改心しました。
この事があってから宝幢寺の台所の流し台に、ときおりだれが届けるのか知らないが、こい・ふな・なまずなどが朝早く置いてあった。河童が改心したお礼だと。。。  資料「志木市史 民俗資料編1」

宝憧寺
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旧西川家潜り門
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刀傷の跡
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旧村山快哉堂
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新河岸川舟運の歴史
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カッパの像
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市内には河童の像がいたるところにあります。全24か所になります。そのうちの何か所かまわりました。

http://www.city.shiki.lg.jp/index.cfm/1,html  埼玉県志木市ホームページ

24か所全部まわってもいい散歩になりそう!!
詳しくは市のホームページをみてくださいね!


赤穂浪士が歩いた道を訪ねる

今回のムメ散歩は。。。。。
赤穂浪士が歩いた道を訪ねる

JR両国⇒回向院⇒吉良邸跡⇒一之橋⇒清州公園⇒本願寺⇒東銀座⇒浅野内匠頭終焉の地⇒芝増上寺⇒泉岳寺
約13kmの散歩です

「ざっくり赤穂浪士の打ちいりのお話し」
江戸城内で、幕府が天皇を迎える儀式の接待役として任を受けた赤穂藩主・浅野内匠頭と高家旗本の吉良上野介の争いが起き、吉良上野介が額に傷を受けた。城内で沙汰を起こしたことに、征夷大将軍徳川綱吉は激怒し、赤穂藩主・浅野内匠頭に切腹を申し渡した。
喧嘩両成敗が通例であったが、吉良上野介はお咎めなしであった。
赤穂藩浅野家も「お家断絶」

仇討ちの為、47士(46士という説もあり)赤穂浪士たちが集まり、吉良邸へ討ち入りし、討ちとる事ができた。他説や、映画、ドラマ等になっているので、詳細はいろいろな形で残っているようです。

それでは散歩。。。。
両国駅
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回向院 鼠小僧のお墓
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吉良邸
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一之橋
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佃・豊洲の高層マンション
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浅野内匠頭終焉の地

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芝増上寺
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泉岳寺



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とても、歩道が整備されていて、天気の良い、アップダウンが少ないウォーキングしやすいコースでした。みなさんもどうぞ!!



秩父札所巡り(32番般若山法性寺、33番延命山菊水寺)

今日のムメ散歩は秩父札所巡り(32番般若山法性寺、33番延命山菊水寺)です。

西武秩父駅からバスで30分ぐらい山道を揺られ、小鹿野町の松井田で下車、そこから約13kmの散歩です
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始まりかけた紅葉をところどころ見ながら、ひたすら景色のいい道を降りたり昇ったりして、帰りのバスの時間を気にしてか、
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あまり休憩も取らず、32番般若山法性寺へ、ここで昼食。
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それから、基本的には下りの来た道を戻り、
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33番延命山菊水寺へ
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秋の味覚、見た目甘そうで美味しそうな渋柿がなっていました。収穫しているおじさんに聞いたら秩父の夜祭り使用するようで、収穫しているといっていました。

泉田というバス停から、西武秩父駅に帰ってきました。

疲れはしましたけど、やはり自然なか景色のいい所を歩くと清々しく、とてもいい一日でした。

秩父、みなさんも散歩どうですか?



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