何気なくたべている「たくわん」「沢庵」
たくあん

いつごらから、食べられているのでしょうか?
沢庵

沢庵 宗彭(たくあん そうほう、澤庵 宗彭、天正元年12月1日(1573年12月24日) - 正保2年12月11日(1646年1月27日)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての臨済宗の僧が沢庵がダイコンの漬物の一種を改良し考えた一説、関西で広く親しまれていたものを沢庵が江戸に広めたとの一説があります。

近侍となっていた沢庵がいた東海寺へ徳川家光が訪れた際、ダイコンのたくわえ漬を供したところ
家光が気に入り、「たくわえ漬にあらず沢庵漬なり」と命名したと伝えられる。

江戸時代にはあったようですが、沢庵の原型は庶民の食べ物ダイコンのたくわえ漬だったようです。

沢庵 宗彭は但馬国出石(現兵庫県豊岡市)の生まれ。昌念寺に入り出家する(天正10年1582年)。
紫衣事件で出羽国に流罪となり、その後赦されて江戸に萬松山東海寺を開いた。
書画・詩文に通じ、茶の湯(茶道)にも親しみ、また多くの墨跡を残している。
「紫衣事件」では、高僧に与えられる紫衣着用規制した幕府に対して朝廷が「紫衣着用の勅許」をしていまい、沢庵 宗彭らも同調し、流罪された。幕府が朝廷より上という事を世にしらしめた。
その後赦免後、しばらくして家光の近侍となった。

人の名前だったんですね(*_*)