愛和住販スタッフのブログ

埼玉県坂戸市にある不動産屋「愛和住販」のスタッフのブログです。不動産に関するマメ知識から映画や音楽などのサブカルのことまで。スタッフの日々の日常をほぼ毎日綴っています。

日本人で最初に花火を見たのは、徳川家康であるという説がある。

通信の手段であった狼煙(のろし)。花火鑑賞に火をつけ、花火作りが始まったとされる。

中でも家康の故郷でもある三河では、今も花火作りが盛んで、有名な伝統花火、『金魚花火』が大量に生産されている。
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江戸でも、花火はとても有名。
花火といえばつきものの、『たまや~かぎや~』という掛け声、実は江戸時代の『玉屋』と『鍵屋』に由来しているのだ。

1659年鍵屋が民間花火業者として成立。鍵屋八代目の頃、番頭の清七という人に暖簾(のれん)分けをし、清七が【玉屋】の屋号で花火屋を始めました。今の隅田川花火大会の原型ともされる、『両国川開き納涼花火』は1733年に始まった。鍵屋は六代目から参加。この大会で、『玉屋』と『鍵屋』は、上流に『玉屋』、下流に『鍵屋』がそれぞれ担当し、二代花火師の競演となった。これを応援する為の掛け声が、『たまや~かぎや~』。歓声とともに花火の美しさを競い合いました。
しかし玉屋は天保14年(1843年)に失火で街を半町程類焼させてしまい、江戸を追放されてなくなってしまいました。

現役のころから「たまや~」の掛け声のほうが多く、その後も掛け声の代名詞として現在に至るのはなぜでしょう?
ひとつは花火の技術が勝っていたこと。もうひとつは、語呂が良いので掛け声を掛けやすかったこと。そして、江戸っ子気質がそうさせたこと。

「橋の上 玉屋玉屋の声ばかり なぜに鍵屋と いわぬ情なし」

これは、実力があったのにたった一代で花火のように消えた「玉屋」への愛情を示したもの。「情」に「錠」をかけており、「鍵屋の声がねぇのもしかたあるめぇ。錠がねぇんで口が開かねぇ」という詠み手の洒落を含んでいます。
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現代は花火は「鍵屋~!!」なんでしょうね。

「鍵屋(かぎや)」はその後もさまざまな花火を開発して日本の花火界をリードし、現在は女性当主が鍵屋15代目として活躍中で~す。

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IMG_0399蝉 誕生です。 トウモロコシの根本に脱皮した抜け殻
半日ぐらい ズートいました。 今年の蝉は、あまり鳴かず死んだ姿が多かったです。
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IMG_0402IMG_04003匹の勇者 ブチ・般若・うぉー
昨日は雨でしたが、今朝も早くから 元気にご飯を 催促してました。レトルト・カリカリを食べ 向かいの角の家
玄関まえで 奥さんが、出てくるのを ずーっと待ちます。そして牛乳を貰う。玄関横の自転車庫が 住居です。
よかったら見てください‼


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